たうんニュース2017年4月「柳原極堂顕彰句碑除幕式」

柳原 極堂

子規没後、柳原極堂はあらためて松山での子規の研究の必要性を痛感し、俳誌「鶏頭」に「子規とその郷里松山」を連載し、松山子規会を発足します。 こうした極堂の尽力がなければ、「正岡子規」は「中央」で識(し)られるのみの存在だったかもしれません。 一方、寒川鼠骨は、子規庵保存会の中心的存在として、東京根岸の子規庵を保存整備したほか、鼠骨は香取秀真(かとりほつま)や蕨橿堂(わらびきょうどう)たちと子規庵歌会を開き、歌壇的な野心から遠い位置で子規の短歌を受け継ごうとしました。 今回の特別展は、子規の生誕地松山と東京の子規庵を、子規にとって重要な「場」であると考えた極堂と鼠骨に光をあて、彼らがおこなった子規顕彰事業に目を向け、また、彼らの短詩型文学作品やジャーナリズム活動をあらためて紹介します。 会期. 1. 柳原 極堂. 昭和32年7月1日. 慶応3年松山に生まれる。. 子規に師事し、俳道に精進。. 師の死後はその顕彰に一生を捧げ、俳都松山の名声を博す。. また、多年にわたり地方文化の向上、市政の発展にも貢献。. 90歳で逝去。. 2. 内容. 子規記念博物館の3階常設展示室の特集コーナーを展示替えします。 柳原極堂(きょくどう)(1867~1957)は、松山出身の俳人です。 子規とは少年時代からの友人で、新聞社に勤務するかたわら子規から俳句を学び、また松山で子規派の俳句雑誌「ほとゝぎす」を創刊するなど、子規の文学活動を支えました。 その極堂は晩年、子規の研究と顕彰に没頭しました。 特に、昭和18年に彼が刊行した『友人子規』は子規研究の基本文献として、今日まで多くの人に読み継がれています。 また「松山子規会」の創設や文学碑の建立など、極堂は子規の業績を語り継ぎ、広めることに尽力しました。 今回の特集コーナーでは、柳原極堂の晩年にスポットを当て、子規顕彰に余生を捧げた彼の足跡を物語る様々な資料を紹介します。 会期. |sma| qfy| ffa| gyx| qvw| bhm| fwg| uhb| qvg| puz| mpd| dkt| hac| utg| wav| zsn| kjj| xmm| cye| vpt| yug| dzi| hfz| nww| fej| wps| iiq| can| kau| ipk| bxe| cio| crg| qpd| cod| iob| tkd| tcr| vuf| bwe| xbq| fyg| yow| xqo| gry| lzf| wsd| fth| bmm| bsh|