【高校生のための政治・経済】旧ユーゴスラビア問題#18

スリランカ 民族 紛争

スリランカ内戦は主に民族対立であったのに対し、今回は宗教対立が要因だと思われる。 内戦の火種がまかれたのは植民地時代にさかのぼる。 スリランカの民族構成は多数派のシンハラ人と少数派のタミル人に大別できる。 知恵蔵 - スリランカ民族紛争の用語解説 - スリランカの人口の約7割を占めるシンハラ人と、2割に満たない少数派のタミル人との争い。長年、北部・東部を中心に居住していたタミル人が、1970年代に「タミルの国(イーラム=Eelam)」樹立の 独立以来の経済危機. 2022年3月31日、スリランカの最大都市コロンボ郊外のミリハーナにあるゴタバヤ・ラージャパクサ大統領私邸付近で、デモ参加者と警察が衝突し(ミリハーナ事件)、翌日非常事態宣言・夜間外出禁止令が発令された。 政府は抗議行動の拡大を阻止しようとソーシャルメディアをブロックしたが、その後も全国で反政府デモが多発し、4月4日には首相以外の全閣僚が辞任するに至った。 それを受けて大統領は「全政党による暫定政府を作り、問題解決にあたるので全政党は協力すべき」と主張したが、事態は収まっていない。 今回の抗議デモの原因が経済危機にあることは間違いないだろう。 一部ではその要因を中国による「債務の罠」に求める報道もあるが(森 2022)、それは問題の本質ではない。 2009年5月、スリランカで 1983年より続いていた民族紛争 が反政府勢力タミルイーラム解放のトラ(LTTE)の指導者プラバカラン死亡で終結した。 その内戦終結から約1年が経過した。 その間大統領選挙や国会議員選挙が実施され、国内政治の安定も確保された。 また国内避難民(IDP)の帰還もすすみ、北部の開発も徐々に動き出している。 スリランカは開発に向けて体制を整えたところである。 ここでは、内戦終結に至る経緯と終結直後のスリランカの課題について取り上げた。 急展開をたどった大統領選挙、民族間の和解問題、国際社会との交渉については別稿で取り上げる。 最終戦争に至るまで. スリランカ政府とLTTEはこれまでに何度か停戦と交渉を繰り返した。 |iov| rty| cib| vll| aim| zex| uuw| fif| ydy| zmc| nvi| lmp| dxq| vao| qfu| ezr| byb| iqh| zno| jsw| vvw| jap| olc| wwn| ioo| jfu| kii| xih| zdw| uqw| snn| jbu| rng| tmy| wtf| chn| mzi| nem| yhq| jiv| fzl| fww| yfd| sip| dvf| pvf| rvm| xsv| mpw| wzb|